世界中の仲間と想いをつないでー「国際筋強直性ジストロフィー啓発の日 ティーパーティ2025 in 大阪」

2025年9月15日(月・祝)、大阪府豊中市の千里ライフサイエンスセンターにて、「国際筋強直性ジストロフィー啓発の日ティーパーティー in 大阪」が開催されました。

今年は全国各地から患者・家族・支援者など55名が会場に集い、久しぶりの対面交流に喜びあうあたたかな時間となりました。 会場の一角にはキッズスペースが設けられ、子供たちが思い思いに遊ぶ姿も見られました。その笑い声が会場全体を優しく包み、和やかな雰囲気を作っていました。

国際筋強直性ジストロフィー啓発の日 ティーパーティ2025 in 大阪

美味しいオヤツと共に始まるティーパーティー

当患者会会員、小川晃佑さんが司会を務め、本日の進行や写真撮影に関するお願いを伝えた後、来賓として出席された先生方の紹介がされました。

当患者会顧問である国立病院機構大阪刀根山医療センターの松村剛先生、大阪大学大学院医学系研究科の高橋正紀先生、そしてスペシャルゲストとして国際筋強直性ジストロフィー会議(IDMC)ファウンダーの芦澤哲夫先生から温かいご挨拶をいただき会場には大きな拍手が広がりました。

続いて、ティーパーティーのメインとも言われるおやつについて、小川さんから「ドラえもんのように一口で食べず、一口大に切ってお召し上がりください」とユーモアを交えた注意喚起がありました。

開会宣言をする司会の小川さん
開会宣言をする司会の小川さん

“治りたい!“を胸に、未来へ

開会宣言で場が和み、当患者会事務局長妹尾みどりさんから2016年の会設立からこれまでの歩み、そしてこれからの展望について語りました。

DM-Familyの歩み

理事長・籏野あかねさんの「じゃあ、私が患者会をやる」という一言から、DM-Familyの活動は静かに始まりました。

その思いに共感した患者、患者家族や仲間が集まり、2016年に筋強直性ジストロフィー患者会(DM-Family)として正式に発足しました。

「患者と家族が協力し合い、未来に向けて知り、共に学ぶ会」を合言葉に今日まで歩みを重ねてきました。

国際連携の始まりーきっかけはIDMC

DM-Familyの国際的な歩みは、「国際筋強直性ジストロフィー会議(IDMC)」への参加がきっかけでした。

2017年のアメリカ、2019年のスウェーデンに参加し、世界各国の医療者・研究者、患者団体と交流を深めました。そして2022年に日本で開催されたIDMC-13では、コロナ禍による制限の中でもオンラインでの連携を続け、2021年には世界の患者団体とともに筋強直性ジストロフィー国際連盟(Global Alliance for DM Awareness)の共同設立に至りました。

この取り組みにより、毎年9月15日が「国際筋強直性ジストロフィー啓発の日」として制定され、日本の活動も世界へと発信されるようになりました。

世界とともに進むー治療法開発への協力

DM-Familyは、IDMCへの参加をきっかけに世界中の研究者や製薬企業との連携を深めてきました。

国際的な連携を通じて、日本ではプライバシーや文化的背景から写真で顔を隠す傾向がありますが、これは「顔を隠す患者さんは治療薬が欲しくないように見える」と指摘され改めて、DM-Familyの活動をどう世界へ発信していくか課題となりました。

こうした活動の裏では、会の会員が役割分担をして無償で運営を続けています。

会員全員の思うことはただひとつ、「治りたい!」からです。

その真摯的な取り組みと国際的な活動が評価され、2025年5月にアメリカで開かれたMDF(国際筋強直性ジストロフィー財団)年次総会で”Above and Beyond Award”(最優秀貢献賞)を受賞されたことを改めて報告されました。

選ばれる患者になるために

海外の啓発の日では、患者や家族が積極的に「治りたい!」と声をあげ、活動をしています。この病気の症状に消極的になりやすいという症状がありますが、患者の全てがその症状を発症するというわけではありません、それは日本でも同じことが言えます。

昨年、行われた啓発の日の写真撮影や8月の仙台で行われた交流会では患者と家族が笑顔で写真撮影に臨み、世界へ「日本も治したい!日本にも患者と家族がいる!」と積極的な活動を継続しています。妹尾事務局長は「世界中から選ばれる患者になりましょう」と熱く語りかけ、会場には力強い拍手が響きました。

DM-Familyのこれまでのあゆみとこれからを話す妹尾事務局長
DM-Familyのこれまでのあゆみとこれからを話す妹尾事務局長

国境を越えて届いたエール

ティーパーティでは、開催スポンサーでもあるアメリカのアビディティー・バイオサイエンス社から日本の患者と家族に向けたビデオメッセージが上映されました。

登場したのは、同社DM1グローバルプログラム責任者のクワドウォ・ベティアコ氏です。
ベティアコ氏からは「皆さんが集まるこの機会に言葉を届けられることを嬉しく思います」と語り、DM1(筋強直性ジストロフィー)への理解を広げるために活動するDM-Familyへの深い感謝の意を示しました。

また、「患者、家族、介助者、そして地域社会が支え合い、互いに励まし合える関係を築くことが何より大切です」と呼びかけ、自らのチームも治療薬の実現に向けて尽力していることを伝えました。

最後に、「皆さんが続けてくださっているすべてのことに感謝します」と結び、温かい笑顔でメッセージを締めくくりました。

スポンサーとして、また、国際的な仲間として応援の言葉を届けてくださったアビディティー・バイオサイエンス社の皆様に改めて心よりお礼申し上げます。

アビディティ・バイオサイエンス社クワドウォ・ベディアコ氏からあたたかいビデオメッセージ
アビディティ・バイオサイエンス社クワドウォ・ベディアコ氏からあたたかいビデオメッセージ

一歩でも前へ、臨床医としての歩み

国立病院機構大阪刀根山病院医療センターの松村剛先生から、「わたしの1日とこれから」と題し、ご自身のこれまでの歩みと、筋ジストロフィーとの出会いについてお話しいただきました。

筋ジストロフィーとの出会い

1979年の「障害者教育の義務化」前に義務教育を受けたため、高校生までは障害のある人と接する機会がほとんどなかったという松村先生。

大学生活を送った1980年代は「国際障碍者年」で、ノーマライゼーション思想の広がりや障碍者自立運動が高まり、社会全体で障碍者への理解が少しずつ変化していく時代でした。大学入学後、筋ジストロフィー病棟で初めて同年代の患者と出会い、共に外出やコンサート、旅行を楽しんだ思い出を語りました。一方で、一緒に出かけた患者が次に会った時には肺炎を患っていることや、突然の別れを迎えることも少なくありませんでした。

しかし、人工呼吸療法の導入によって同じ病気の患者が以前よりも元気に過ごせる姿を目にしたといいます。「呼吸不全でしんどくてご飯が食べられなかった人が、人工呼吸器を着けた途端に食べられるようになったり、気管切開しても会話できたりする人もいる。治せなくても医療ができることはたくさんある」ことを学んだと話されました。

臨床医としての姿勢と関わり

松村先生は「今できる最善の医療を実践する一方で、医療だけで出来ることには限界がある」と話し、多職種・多機関と連携して包括的な支援に努め、患者と家族に複数の選択を提示し、適切な時期に納得のいく選択が出来るよう努力されています。

また、日々の診療内容をデータとして蓄積・解析し、分かったことを学会や論文で発表することで、臨床で得た知見を社会へ還元していく取り組みも語られました。

医師としては生命予後・QOLの改善を目指し、初期は人工呼吸療法の向上を目的に気管切開から開始しNIVへ、呼吸器管理期間が長年にわたるようになると肺を綺麗に柔らかく保つことための呼吸理学療法、さらに感染治療や栄養管理にも関わりました。

その結果、呼吸不全死亡が減少し心不全の割合が高くなり、心筋障害治療の向上を目的に心筋保護治療に取り組みました。

松村先生の活動は病院の中だけに留まらず、在宅療養している患者への支援や近年では災害も多いことから安全対策に関わっていることを話されました。

21世紀に入って、治療開発の時代を迎えると、2007年から患者登録(Remudy)の立ち上げメンバーの一員として参加し、2009年にはジストロフィン症、2014年に筋強直性、2020年の顔面肩甲上腕型と登録疾病の拡充に貢献されました。

松村先生の積極的アウトリーチ活動は、当患者会の発足の契機となった市民公開講座開催や研究班ホームページで情報の発信など多岐にわたり、そして治験・臨床研究の実施と幅広く活躍されています。

わたしの1日とこれから

最後に松村先生は、ご自身の一週間のスケジュールとプライベートでの過ごし方について語られました。

病院での勤務がある平日は朝から夜遅くまで外来診療、診療後も製薬企業対応や学術活動と多忙を極めています。

休日も、学会、セミナー、研究班参加などが続く松村先生ですが健康維持のため週3〜4はランニングをされています。

これからについて松村先生は「ドラッグ・ロスの問題を懸念しており、こうした患者会の活動を通じて皆さんと一緒に声を上げていき、日本で国際共同治験に参加できるように。また、日本でも治療薬の開発を早く実現できるように貢献できれば」と語りました。

そして、プライベートでは健康・体力の維持として無理をしない程度にマラソンの海外遠征やコロナ禍以降できなかった登山の復活、家族との時間を大切に夫婦でいろんなところにも出かけたりしたい。松村先生の人柄が伺える「これから」に会場からは温かい拍手が響きました。

筋ジストロフィーと意外な因縁について話す松村剛先生
筋ジストロフィーと意外な関連について話す松村剛先生

患者・支援者の垣根をこえて、音楽でひとつに

参加者それぞれがティータイムで久しぶりに会う仲間との交流・子供を交えた交流を楽しんでいる中、演奏の準備が整い、DM-Familyバンドメンバーのリーダーである澤田大輔さんの明るい挨拶が会場に響きました。

10年ぶりの楽器演奏。挑戦しようと思ったきっかけ

患者である澤田さんは30代後半でこの病気を発症し、それまで続けていたバンド活動も発症後は両手の指が反ってしまい「もうギターは弾けない」と思い、いったん活動を引退したと語りました。

その後、バンド仲間から「もう一度一緒にやりたい。一緒に夢を見よう」と声を掛けられ、気持ちが揺れ動く中で、テレビ番組で指一本でギターを弾く女性の姿を目にします。
その瞬間、「これなら自分もまた弾けるかもしれない」と強く心が動き、再び挑戦する決意につながったと話しました。
澤田さんとバンドメンバーの紹介と談笑を踏まえて発表された演奏曲はビートルズの「And I Love  Her」と「カントリーロード」の2曲。演奏が始まると会場全体が自然とリズムに揺れ拍手が広がりました。

澤田大輔さん
澤田大輔さん
DM-Familyバンドメンバーによる楽曲演奏
DM-Familyバンドメンバーによる楽曲演奏

最後には、メンバーの戸野千春さんによるクラシックギターソロ「枯れ葉」。静かな旋律がこれから訪れる秋を感じさせました。

演奏後、事務局長から澤田さんに「前向きの秘訣」を尋ねる場面があり、澤田さんは「自分は自分自身を楽しませることに全力になるタイプ。この病気になっても自分ができることを最大限に楽しむことです」とこの病気になっても明るく前進し、挑戦する姿に一際大きな拍手が送られました。

戸野千春さん
戸野千春さん
芦澤先生と参加者
芦澤先生、高橋先生と参加者
松村先生と参加者

病院ではできない先生方を囲んでの談笑は、ティーパーティならではの風景

新たな患者登録のかたちを目指して

演奏会と参加者同士の交流時間を楽しんだ後、大阪大学大学院医学系研究科の高橋正紀先生から、「いまさら聞けない患者登録」についてお話しいただきました。

今までのRemudyと浮かび上がる「課題」

高橋先生は2009年から運用が始まった患者登録“Remudy”(レムディ)のこれまでの歩みを振り返りました。

Remudyは、日本国内の筋ジストロフィー患者の情報を集約し、研究や治験の基盤として大きな役割を果たしてきました。

患者登録は、患者・研究者・開発企業の三者をつなぐ架け橋として機能し、最新の研究情報を届け、臨床試験への参加や世界とのネットワーク形成を可能にしました。

患者登録のメリットは

  • 診療や研究情報が得られる
  • 世界とつながる感覚を得られる
  • 臨床試験から取り残されない
  • 担当医との理解を深め、医療の標準化に寄与する
  • 登録情報が研究や疫学調査に生かされる

などが挙げられます。

しかし一方で、登録方法の煩雑さ、負担の増大、登録数の頭打ち、医療機関ごとの体制や疾患拡張・薬事制度への対応など、運用面での課題が明らかになってきました。

高橋先生は「Remudyの役割は一定の使命を果たした」と話され、次の時代に向けた新たな仕組みづくりの必要性を示されました。

シン・Remudy構想

こうした課題を踏まえ、高橋先生は次世代の患者登録構想「シン・Remudy」を紹介しました。

「シン・Remudy」は、既存のRemudyを基盤としつつ、より多様な神経筋疾患を包括し、国際的にも活用できる次世代型患者登録システムを目指すものです。

「データが作る未来の医療」をテーマに掲げ、従来の枠を超えて研究者・企業・行政・患者が協同し、質の高いデータを蓄積・共有することで、新薬開発や臨床研究の効率化を図ります。

高橋先生は最後に患者登録の意義について改めて触れ、
「患者登録は皆さんの存在を知ってもらい、関心を持ってもらう方法の一つです」
と語りました。

治験参加がされるものではく、治験に関心のない方にとっても、定期受診による合併症のチェックやご自身の健康管理に役立つなど多くのメリットがあることが説明されました。

そして、「今後、時代の要請に応じて仕組みは変化していくことが予想されますが、ぜひ協力していただけると助かります」と呼びかけ、次世代の患者登録体制に向けて、参加者に理解と協力を求めました。

今までの患者登録とこれからの患者登録について話す高橋先生
今までの患者登録とこれからの患者登録について話す高橋先生

「出会い」で進化した筋ジストロフィー研究の軌跡

国際筋強直性ジストロフィー会議(IDMC)のファウンダーであり、長年に渡り世界の研究を牽引してきて芦澤哲夫先生から「筋強直性ジストロフィーの歴史の中での患者さんと家族の奮闘」についてお話しいただきました。

筋ジストロフィーの研究の発展と国際連携

芦澤先生は、19世紀後半に始まった筋強直性ジストロフィー(DM)の研究の歴史を振り返りながら、遺伝子発見に至るまでの道のりを紹介されました。

1876年、トムゼンによる“ミオトニア”の発見に始まり、20世紀初頭にはシュタイナートが筋強直性ジストロフィーを独立した疾患として報告し、1950年代ではDNA構造の解明とともに分子遺伝学の時代が到来し、多くの患者とその家族が検体提供に協力したことで、1954年にはDM1(筋強直性ジストロフィー1型)の遺伝子座位が特定されました。

1990年代には、世界各国の研究者が連携し、1992年にはDMPK遺伝子のCTGリピート異常が報告されています。

この成果の背景には、患者家族の協力、そしてSir Peter Harper(ピーター・ハーパー)教授との出会い、1995年のAmerican Society of Human Genetics(米国人類遺伝学会)の年次総会にてCaiudine Junine(クローディーヌ・ジュニアン)とのコーヒーブレイク中の交流により国際的な研究会(IDMC)の発足が紹介され、芦澤先生自身もその中心的存在として関わってきたことが語られました。

患者・家族との出会いが生んだ研究の力

芦澤先生は「出会い」という言葉をキーワードに患者・家族との関わり、そしてピーター・ハーパー教授をはじめとする世界の研究者との交流を振り返りました。

遺伝子研究が急激に進む中で、患者家族が血液提供や臨床データの共有に協力したことが病因解明の大きな一歩となりました。

また、アメリカではMDA(Muscular Dystrophy Association)やJerry Lewisのチャリティ活動、イギリスではハーパー教授らの尽力がDM研究の発展を後押しし、2000年代以降は患者団体MDF(Myotonic Dystrophy Foundation)やDM-Familyが誕生しました。

こうした国際的な患者・家族のネットワークが、研究を支え、社会理解を広げる土台となっていることが紹介されました。

最後に芦澤先生から「DMの夜明けはすぐそこまで来ています。最初は病気の進行を遅くする所から始まり、次は進行を止める、そして元に戻す。そのためにはまだまだ臨床試験が必要です。ともに前進しましょう」と今後も、研究者・患者・家族・支援者がともに歩む姿勢の大切さを伝えられました。

友人でもあるハーパー氏との思い出を語る芦澤先生
友人でもあるハーパー氏との思い出を語る芦澤先生

ここから世界へ。日本の仲間の確かな存在

ティーパーティーの締めくくりとして、参加者全員で集合写真を撮影しました。この一枚は、日本の仲間の確かな存在を示す大切な写真となりました。

笑顔あふれる写真撮影

当会では事前に写真撮影に関して顔出しの声かけを行っており、自然な流れで全員が壇上へ集まり、写真撮影を行うことができました。

ひとりひとりの笑顔がそろった集合写真は、「私たちはここにいます」という確かな存在を語る一枚になりました。

世界中で同じ病気と共に生きる仲間たちへ、日本にも仲間がいること、つながりがあることを届けたい。その想いが込められたあたたかな写真撮影となりました。

大阪から世界中の仲間へ「わたしたちはここにいます」
大阪から世界中の仲間へ「わたしたちはここにいます」

撮影後に広がった、名残惜しい交流のひととき

撮影後も会場では歓談が続き、「また会いましょう」と声を交わす参加者の姿が多く見られました。

スタッフも会場の片付けをこなしながら参加者の方に挨拶や感謝の声掛けが飛び交い、最後まであたたかい空気が広がっていました。

国際筋強直性ジストロフィー啓発の日2025参加者
国際筋強直性ジストロフィー啓発の日2025参加者
国際筋強直性ジストロフィー啓発の日2025参加者
国際筋強直性ジストロフィー啓発の日2025参加者

参加者はじめ、スタッフのみんな、暑い中、ご参加いただきありがとうございました。